九州大学大学院芸術工学研究院では、デザインの体系化を目的とし、デザイン学の基礎論に取り組んでいます。
元『WIRED』の編集長をつとめ、現在、黒鳥社の代表である若林恵(けい)氏をお招きし、本学客員教授の田村大氏とともに、お話を伺いました。会場は60名程度の参加者を迎え盛況となりました。当日の様子を、本学大学院芸術工学研究院の古賀徹教授がお伝えします。
はじめに若林さんは、ロラン・バルトを引き合いに出し、〈方法〉というものが思考を枠にはめる機能を果たすといいます。重要なのは、その方法のフレームの外部にあるもの、その前提を問うことであるのに、デザインの主流はその外部を問わなくなっているという。
いまのデザインには、デザイン手法をマニュアル化して、自分とは無縁に、現実を「客観的」に処理していく傾向がある。しかしその「客観性」ないしは客観的手続きとは、フレームの内部での客観性に過ぎず、そのフレーム自体は主観、もしくは社会の反映である。客観には主観のフィルターがかかっているのに、そこに映り込んでいる不可視の主体性を問わずに、客観を主体から無縁な「客観それ自体」であると捉え、主張するところに、デザイン思考の問題の根源がある、とのことでした。
編集において、思考や言葉は何かを達成するための道具ではない。むしろみずからの言葉自身と向き合い、そこに含まれる自己と社会を明らかにしていく媒体である。それはデザインにおいても同じだ。創造性とは、デザインや文章の中に映り込んでいる自分や社会のあり方を分節化し、かたちへと仕上げることで、現状の自分を抜け出していくところに生まれる。そのためには、まさに自分自身のあり方を常に揺り動かし、それを問うていく覚悟が必要なのだ、と。
固定したフレームの内部で無自覚に生きている人間は「ぶよぶよ」としていて輪郭がない。そのあり方が一度、外部の力によって潰される試練を経て、はじめて人間はリアリティを獲得し、その輪郭、つまり「顔」が見えてくる、という若林さんの言葉は印象的でした。テクノロジーというのは、往々にして意図せざるかたちで生まれる。そのようにテクノロジーが自発的に「進歩」することによってはじめて、これまでのテクノロジーのフレーム、そのうちで生きてきた私達の生活のフレームが可視化(意識化)される。ここにテクノロジーの「進歩」の最大の利点がある、と若林さんは言います。
テクノロジーの問われざる「フレーム」を可視化するときに、その本当の〈顔〉が見えてくる、それがWIREDの編集方針だったのだ、と私は解釈しました。
カントやフッサールの哲学では、ある経験を可能としている条件、つまりフレームのことを超越論的条件と言います。このことを若林さんは、飛行機が飛ぶには滑走路が必要という比喩で説明していました。デザインのフロンティアとは、自分の内に潜むこの「滑走路」を自覚化し、それを表現し、乗り越えていくところにあるのでしょう。田村さんや芸工の学生との活発な対話もあり、充実したひとときでした。
[日時]2018年6月25日(月)午後1時から3時まで
[場所]九州大学大橋キャンパス 音響特殊棟 録音スタジオ
[登壇者]
若林 恵(わかばやし けい)
米国で創刊され、ケヴィン・ケリー、クリスアンダーソンらを編集長に戴き、テクノロジーを主に時代の潮流を捉えてきた雑誌『WIRED』。『WIRED』日本版の編集長を2012年から2017年まで務め、編集手腕と執筆記事が高く評価されてきた。主な著書に『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』(岩波書店)、現在は黒鳥社の代表。
田村 大(たむら ひろし)
株式会社リ・パブリック共同代表。東京大学i.school共同創設者エグゼクティブフェロー。九州大学客員教授、北陸先端科学技術大学院大学客員教授を兼任する。デザイン思考のパイオニアとして知られ、現在は、国内外の産学官民を結んだ数々のオープンイノベーションのプロジェクトを企画・運営し、新たな「イノベーション生態系」のあり方を模索する。主な共著に『東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた』(早川書房)。
[お問合せ] 古賀 徹(九州大学大学院芸術工学研究院) toru(a)design.kyushu-u.ac.jp
日時
2018年6月25日(月)午後1時から3時まで