2019年から活動をスタートした九州大学大学院芸術工学研究院のバイオラボでは、現在取り組んでいる「次世代のデザイン教育(創造性教育)手法の開発」の一環として、生命美学、人工知能、バイオアート、人工生命、DIYバイオ、といった知性と生命をとりまく複数の視点から、学内外の様々な研究者と共に研究活動に取り組んでいます。
現在、バイオラボで九州大学大学院農学研究院博士課程の池永照美さんがとカイコの吐く糸を使った実験を進めています。この実験では、カイコがつくり出す糸や膜などの産物やカイコならではの造形プロセスを利用したデザインの可能性を探求します。
これまでの実験の様子はこちらから
カイコの平面吐糸実験
ナノセルロース×シルクフィラメントの融合素材のデザイン
バイオラボ カイコの不織布
バイオラボ カイコとアリと人のco-working system 〜生物とテクノロジーの共生によるマテリアルデザイン
「生物の優れた生命維持や情報伝達に関する機能、例えば、進化・遺伝・学習・免疫あるいは危険回避・採餌・生殖行動などは、太古より現在まで環境に適合させながら種々の形式で生物体に取り込まれてきた。生物の何千万種もの誕生と多くの種が途絶えたという地球上の繁栄と衰退は、これからの機能獲得に関する自然界の演算結果である。現在でもこの演算は続けられ、永遠にとどまることはない。つまり地球上の多様な生物は、最適とは言わないまでも現在の環境に適合した、存在が許されている集合である。[1]」
その演算の結果、蚕は生存戦略として人と共存することを選択し、幼虫から成虫になるプロセスの中で繭を作り、絹糸を供し、人と共に自身の遺伝子を繋いできました。したがって、繭には、蚕自身の進化・遺伝の結果、また、家畜である蚕が人為的な目的を受容した結果が反映されています。
その繭を作る吐糸環境に変化が起きたとき、蚕は、その環境に対してどのように振る舞うのでしょうか?また、そこには秩序や法、つまり、パターンがあるのでしょうか?
前回の実験で、蚕の吐糸環境を正三角形、正方形、正六角形、円の平面図形に構築し、どのように吐糸するのか、また、パターンがあるのか、調査を試みました。図形上に吐糸された絹は、目に見えるかたちで現れた結果です。視覚的に認識できる結果から考察すると、図形の頂点の角度が大きくなればなるほど、頂点に沿い吐糸すると推測できます。しかし、この結果は、必ずしも蚕の行動パターンを反映していると言いきれません。蚕の振舞いに対応した吐糸が図形上に描写されているとは限らないからです。映画表現でいうところの「ル・オー=シャン(le hors-champ)」、本題は画面の外に置かれている、つまり、蚕の行動は図形上に吐糸された絹の外に置かれているということです。
図:正三角形上に吐糸された絹
実際、蚕がそれぞれの図形上に吐糸するまでのプロセスを観察していると、吐糸形態ができるまでには時間を要し、繭を作るための足場を何処かに構築できないか図形上を動き回って探索していました。そして、今ある環境を受け入れ、その環境に反応した吐糸を行っていました。吐糸環境の変化の受容から、今ある吐糸環境に対するその時その時蚕の反応は、結果として、図形に応じた異なる吐糸パターンとして現れていますが、蚕はあくまで繭を作っているつもりで、その振る舞いは繭づくりに基づいているかもしれません。この図形上に見えない蚕の振る舞いを、九州大学大学院芸術工学研究院修士1年生の荒野真優さんによるモーションキャプチャによる蚕の行動のトラッキング、そして、九州大学芸術工学部芸術情報学科4年生の佐藤昂大さんによるトラッキングデータの統計解析が可視化してくれました。
図:可視化された蚕の振る舞い
例えば、頂点が欠け、円状に縁取られた正三角形は、円を描くようにぐるぐる動き回る蚕の振る舞いの結果と推測できます。
図:頂点が欠けた三角形
図:円状に縁どられた三角形
図:蚕の振る舞い ※青色:頭の動き 黄色:腹の動き
鈍角と鋭角が共存する鈍角二等辺三角形上の蚕の振る舞いを見てみると、移動を現す赤い線は円を描き、体を固定して頭を振りながら吐糸する動きは青い細線で、二等辺三角形上の鈍角よりも鋭角に集中して描かれています。鈍角よりも鋭角の頂点部を念入りに探索している蚕の動きが読み取れます。その結果として蚕は鋭角の頂点部に吐糸していないと推測できます。
図:二等辺三角形上の蚕の振る舞い ※赤色:移動 青色:頭の動き
また、三角形に対するこれらの蚕の振る舞いは一様ではなく、適合してきれいに三角形に吐糸する個体もいれば、歪な形状に吐糸する個体もいます。
図:正三角形
図:歪な形状
同じ図形でも、その時々の条件で異なる形に発展した結果には見えないシンプルなアルゴリズムが、さらに振る舞いを解析することで見えてくるかもしれません。
「生物は、生存と種の繁栄のために光・水・重力といった複数の環境条件のなかでバランスをとり、ダイナミックな状態で存在している。換言すれば、生物はひとつの目的に従って完全な解を求めるのではなく、多目的の最適化を行っており、そこから多種多様な形態や生存戦略が生まれている。(中略)多目的最適化の解はひとつではなく、無数に存在する。生物が見せる驚くべき多様性のなかにはデザインにおいて望ましい優良解を決定するヒントが潜んでいるように思われる。[2]」とあるように、蚕の環境の変化に対する受容の多様性、その受容からの生み出される一瞬一瞬のリアクションは、私たちの暮らしの中で生じる変化や困難への多様な解決策をかたどっているようにも見えます。
参考文献
[1] 本間俊男「生物的アプローチによる形態発想支援システムの試み」『空間構造におけるコンピュータ利用の新しい試み』日本建築学会編、pp.2-17、丸善、2005
[2]「建築雑誌 特集06 建築と生物学の接点―多目的最適化をめざして」日本建築学会、2020.6