九州大学大学院芸術工学研究院では、デザインの体系化を目的とし、デザイン学の基礎論に取り組んでいます。
北西スイス応用科学芸術大学のクリティカル・メディア・ラボで主任研究員を務めるShintaro Miyazaki氏をお迎えして、本学大学院芸術工学研究院の城一裕准教授とともに、批評としてのデザインについてお話を伺いました。会場は20名程度の参加者を迎え盛況となりました。当日の様子を、本学大学院芸術工学研究院の古賀徹教授がお伝えします。
Miyazakiさんは、身のまわりの様々な要素を適切に整えて、自らを自由にする行為としてデザインを定義します。そしてそのうえで、クリティークの起源となった二つの古代ギリシャ語、正しく判断しうるという意味の形容詞クリティコスと、区別するという意味の動詞クリネインにまで遡り、正しい瞬間に何かを分かつこと、決定的瞬間に何かを差異化することとして、クリティークを定義します。
古代ギリシャ語にまで遡って用語を定義することから話が始まるあたり、いかにもドイツ語圏の思考らしく感じました。デザインとクリティーク、この二つの概念を組み合わせるならば、クリティークとしてのデザインは次のような意味を持つのだと思われます。
自らの生活のあり方が不自由だと感じたとき、ある決定的な瞬間とポイントにおいて、これまでとは異なった可能性の余地を作り出すこと、それによって自らの自由の可能性を更新すること、がそれです。
Miyazakiさんは、テクノロジーの進歩によって人間の自由の可能性がたんに拡大されるのではなくて、逆に人間が作り替えられるのだといいます。テクノロジーの進歩によって人間が意図せず作り替えられることそれ自体は、人間の自由を更新するとは限りません。だとすれば、そこには人間の再定義や技術に対する適切な判断が必要とされるのでしょう。
クリティークとしてのデザインは、とりわけ、新自由主義批判や脱植民地主義、フェミニズムやマルクス主義、科学技術社会論(STS)といった領域において、そうした現実に生きる自分自身を反省にもたらし、自由を拡大する実践を行うのです。
またMiyazakiさんは、こうしたデザインの理論的背景を形成し、ご自身も影響を受けた研究者として、エピステモロジーのHans-Joerg Rheinberger、メディア論のFriedrich Kittler、デザイン理論の Claudia Mareisの三名を挙げていました。またそうしたデザインの実例として、ダン&レイビーが提唱する「スペキュラティブ・デザイン」を挙げていました。
批評的な現代アートとクリティークとしてのデザインの差異はどこにあるのか、通常の機能的なデザインとクリティークとしてのデザインとは全く相反するものなのか、さまざまな疑問が提起され、Miyazakiさん自身の作品を交えて、充実した議論のひとときとなりました。
[日時]2018年7月9日(月)15:00-17:00
[場所]九州大学大橋キャンパス 音響特殊棟 録音スタジオ(福岡市南区塩原4-9-1)
[登壇者]
Shintaro Miyazaki
北西スイス応用科学芸術大学主任研究員。1980年ベルリン生まれ。同大学、実験デザイン・メディア文化研究所に付属するクリティカル・メディア・ラボ [IXDM] にてキュレーターを務める。サイバネティクス、生態系主義、カウンターカルチャーやマルクス主義、セルフデザインといった問題系とデザイン、メディア、アートがいかに関わるかについて思考を深める様々なプロジェクトに従事する。2012年、フンボルト大学(ベルリン)にてメディア学の博士号を取得。
IXDM (Institute of Experimental Design and Media Cultures)
Shintaro Miyazakiウェブサイト
[お問合せ] 古賀 徹(九州大学大学院芸術工学研究院) toru(a)design.kyushu-u.ac.jp
日時
2018年7月9日(月)15:00-17:00