2022.8.28

第25回デザイン基礎学セミナー『Design withの多元性──ともにデザインするとはどういうことか』

急速に世界が変化する中で、デザインの取組みを社会にひらいていくことが求められている。本講演では、〈ともにデザインすること〉を単なる題目や方法論としてではなく、人々の多様性、人間と人間以外、複製と非複製など、さまざまな次元の〈あいだ〉に宿る基礎的な問題として解釈し、これまで注目されなかったもうひとつのデザインのあり方を展望する。

招聘講師

講師:上平崇仁 Takahito KAMIHIRA(専修大学)
デザイン研究者、専修大学教授。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て、現在、専修大学ネットワーク情報学部教授。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑/厄介な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学の視点を取り入れた自律的なデザイン理論について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。大阪大学エスノグラフィラボ招聘研究員。㈱ACTANTデザインパートナー。著書に『情報デザインの教室』(丸善出版/共著、2010)、『コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に』(NTT出版/単著、2020)など。

聞き手:飯嶋秀治(文化人類学、九州大学)
司会:古賀徹(哲学、九州大学)

日時・会場

2022 年9月8日 [木] 17:00-19:00 (16:50開場)

オンライン開催

*ご関心のある方はどなたでも自由に参加できます。参加ご希望の方は、こちらの参加申込みフォームからお申込みください。当日にZoom URLを送りします。*締切:9月7日まで

お問い合せ

古賀徹(九州大学芸術工学研究院)
designfundamentalseminar@gmail.com

【主催】 九州大学大学院芸術工学研究院 デザイン基礎学研究センター
【共催】 九州大学芸術工学部芸術工学科未来構想デザインコース

           

第25回デザイン基礎学セミナー

レビュー

九州大学大学院芸術工学研究院は、デザインの体系化を目的としデザイン学の基礎論に取り組んでいます。この度、第25回デザイン基礎学セミナー『Design withの多元性──ともにデザインするとはどういうことか』と題して、専修大学でデザイン研究を専門とする上平崇仁さんをお招きし、オンライン・セミナーを開催しました。当日の模様を本学デザイン基礎学研究センターの古賀徹が振り返ります。


デザインの多元性が目指すもの

工業化以降のデザインにおいては、デザイナーが設計した製品が大量に複製され、それを人々が利用するだけというような、単独で一方的な関係が支配してきたと上平さんは言う。これに対して「コ・デザイン」とは、利用者もまたデザインプロセスに参加し、それ以外の多様な人たちもまた、いわばデザイナーとして「ともにデザインする DESIGN WITH 」ことなのだと。

なるほど。でも利用者や住民の参加はそれほど目新しいことでもなく、1990年代には市民参加型のデザインとして──少なくとも建前としては──すでに一定程度制度化されてきたのではないか。こんな問いかけにも上平さんは丁寧に応接していく。

上平さんによれば、コ・デザインの発祥は北欧における参加型デザインにあるという。これまで生産ラインや労働の在り方をデザインしてきたのは、経営側に立つデザイナーであり、労働者は〈デザインされたもの〉としてそのデザインに従属するほかなかった。これに対して北欧の社会民主主義には、労働者と使用者が力によって対決するのではなく、両者がともにテーブルについて労働条件や仕事のやりかたについて“ともにデザイン”してきた伝統がある。

そこにおいて、人間は〈デザインされるもの〉でありながら、同時に〈デザインするもの〉へと変化する。そして今日では、これまでデザインの対象でしかなかった自然や素材もまた、人間によって〈デザインされるもの〉であるだけではなく、同時に人間を〈デザインするもの〉へと変化しているのだ、と。ひとつのプロダクトのうちにはいわば全世界が参与している。まるで仏教の言う縁起の世界のようにデザインをとらえる必要があると上平さんは主張する。

自然や素材がデザインの主体になるとはどういうことか。この鍵を説くのが、デザインの主体は人間ではなく、何かと人間との〈関係〉だという視点である。たとえば私が自宅の庭の木との関係を変えてみたとする。またそこを訪れる野良猫への態度を変えてみる。そうすればその新たな関係は必ず何らかの波及効果をもたらすだろう。世界と向き合う新たな態度は、樹木や猫があってはじめて実現する以上は、それらの〈もの〉たちもまた、そのかぎりでデザインの主体のうちに入り込んでいる。デザイナーが物を作るとき、自分が手掛ける素材によってデザイナーが作られるというのは全然不思議な話ではない。そこでデザイナーは製品の創造主というよりは多様な関係性の触媒として働くのである。

建築物や製品がこのように様々な関係の結節点として生まれるというのであれば、そこで産み落とされた製品もデザイナーが与えた単独の意味(機能)に従属することはないだろう。上平さんが紹介した、らせん状の滑り台で屋上から滑り落ちることができるコペンハーゲンの小学校の事例においては、たんに子どもたちの声を建築家が取り入れたというだけではなく、子どもたちの突拍子もない声をかたちにして現実化する建築家の技量、一見危険に見える遊び心を擁護する管理者の知恵と勇気、子どもたちとこんなふうに生きていきたいんだという町の価値観の表明、こういう町に自分は住んでいるという住民たちのプライドなど、一つのプロダクトが複数の文脈で複数の意味と機能を発揮することになる。

そしてそれは、当初の計画者の意図を超えて、振り返ってみればすでにそこに生み出されていた予期せぬ機能たちである。そのときデザインの成否は当初の意図の実現の程度のみではなく、意図せぬ豊かな効果をいかに産み出せたか、それによって状況のうちにどの程度の可動性の余地、つまり自由の可能性を作り出したかによって評価されることになるだろう。その可動性は、わかりやすい言葉で言えば、自分が揺り動かされる「楽しさ」として表現できるような気がする。

「ともにデザインする DESIGN WITH 」というひとことに、世界の見方を一変させるこれだけの素敵な意味が込められている。たんなる言い訳としての住民ワークショップ、参加型デザインの根っこを掘り返してみれば、これだけの豊かな養分がそこには隠されていたというわけである。

上平崇仁
古賀徹