ハクティヴィズム
Hacktivism

ハクティビズムとは、ハックとアクティビズムを組み合わせた語であり、社会的・政治的な変化に向けた意図的なハックを指し示す。

ここでハックとは、デザインにおいてもしばしば行われる、既存のシステム(技術)に介入し、単なる合理的な改善を超えた新たな価値を生み出すような行為である。その発祥の地の一つであるMIT(マサチューセッツ工科大学)では、その名の下に、たとえば、オリバー・スムートという実在の人物の身長に起因するスムートという長さの単位系(1スムートは67inch/170。18cm)を構築し、近隣のハーバード橋の全長(364。4スムートと耳一つ)を測定する、というような活動が1950年代からなされていた。レビーによる『ハッカーズ』(1984年)は、中でもコンピュータへのハックに熱中する「ハッカー」に焦点をあて、フリーソフトウェアの提唱者であるリチャード・ストールマンをはじめとする100名超へのインタビューを通じて、システムへのアクセス、情報の自由な利用、権威への疑い、という彼らの倫理観を紹介している。このように、時には多額の資本が投入されて構築されたシステムをそのままに使うのではなく、様々な技術の思いもよらぬ使い道を発見しようとするハックは、いわば既存の価値体系に反旗を翻す、知的かつ洗練されたいたずらと見なすこともできるだろう。九州大学大橋キャンパス内にあるR2-D2(車止め)もその片鱗を見て取ることができる。

一方アクティビズムとは、積極行動主義と訳されることもある語であり、旧来は政治的な抗議・反対の活動を表すことが多く、その中でもより対立的な場合はテロリズムと混同されることもしばしばであった。ただし、近年では、企業への株主による、ガバナンスの改善や、企業価値の向上といった要求を株主アクティビズムと呼ぶように、必ずしも抗議や反対を伴わない、変化への積極的な働きかけを指し示す語として用いられている。

この両者を組み合わせたハクティビズムは、アクティビズムと同様に、元来は政治的な意思表示としてのハックを意味していた。その嚆矢である『PGP』(プリティー・グッド・プライバシー)は、1991年にフィル・ジマーマンにより発表された暗号化の技術であり、この技術によって個々人の電子メールやファイルを暗号化することにより、市民の自由とプライバシーを最大限に尊重する社会の実現を訴求した。その活動の中では、当時アメリカ政府が武器とみなしていた暗号を、そのソースコードを書籍として公開することで、アメリカ以外の国でも合法的に使用できるようにする、といった試みも行われている。

アレクサンドラ・サミュエルはこのハクティビズムを、その出自(ハッカー / アーティスト)と志向(非慣習的(transgressive) / 脱法的 (outlaw))から、政治的なクラッキング (Political cracking)、演劇的なハクティビズム(Performative hacktivism)、政治的なコーディング (Political coding)の3つに分類している。

ここで政治的なクラッキングとは、その目的を達成するためには法からの逸脱を厭わない運動であり、例えばインターネット上のサーバーに大量にデータの要求を行いウェブサイトをアクセス不能にするDDoS(DistributedDenial of Service)攻撃などが、これに当たる。

演劇的なハクティビズム(Performative hacktivism)は、アーティストの手によって行われる実践で、しばしば作品という形態をとることもある。アレッサンドロ・ルドビコとパオロ・シリオによる、ハッキング独占三部作(The Hacking Monopolism Trilogy)はその一例であり、この中では、Google の広告収入プログラムであるAdSenseを利用して、Google自身の資金でGoogleの株を購入し続ける《GWEI (Google Will Eat Itself)》(2005)、Amazonの中身検索機能から一冊の本を作り上げる 《Amazon Noir》(2006)、そして Facebookで公開されている顔写真のデータから架空のデートサイトを構築する 《Face to Facebook》(2011)、という三つの作品を通じて、もはやインターネットの基盤ともなっているこれら企業の仕組みそのものを、実際に動作するシステムの構築を通じて批評している。

3つ目の政治的なコーディング (Political coding)は、政治的な施策をハックにより迂回しようとする(policy circumvention)ものであり、ヨン・レック・ヨハンセンによるDVDヴィデオへのアクセス制限を解除するプログラムであるDeCSS(De- Content Scramble System)(1999)や、『ハクティビズモ』(Hacktivismo)らによるインターネット上の検閲を回避するための一連の活動(1999〜)、などがその初期の代表例である。また、サトシ・ナカモトによるビットコイン(2008)をはじめとした各種の暗号通貨を、この一例として、国家による中央集権的な貨幣制度へのハックとみなすのであれば、その目論見は見事に成功しつつあるといえよう。

近年では、そのハックの対象は、コンピュータの内部とインターネットを経過した上で、再び物理空間へと広がりを見せている。その中でも、アラム・バートルらによる、USBスティックを公共空間の壁に埋め込み、インターネットから切り離された匿名でのファイル共有を可能とする《USB Dead Drops》(2010)(図)や、サイモン・ウェッカートによる、手押し車に99個のスマートフォンを載せて運ぶことで、Googleマップ上に交通渋滞をつくり出す《Google Maps Hacks》(2020)は、ハックの当初のいたずら心を存分に持ちながらも、インターネットの非匿名性や、オンライン情報への過度な依存へと警鐘を鳴らす、良い事例と言えるだろう。サミュエルの定義に沿えば、演劇的なハクティビズムと位置付けられるこれらの試みは、当たり前のように存在するシステムを一人一人の実践を通じて疑う、という点において、市民の小さなアクションから都市空間の変容を促すタクティカル・アーバニズムや、大企業による少品種大量生産から個人による多品種少量生産へと、ものづくりの移行を志向するパーソナル・ファブリケーションの動向とも呼応している。

Aram Bartholl, Dead Drops, 2010

個々人の生活だけでなく、企業の活動や、国家の動向までもが、SNSを始めとした技術的なプラットフォームに左右されている現在、デザインの実践として「技術の人間化」を掲げる本芸術工学研究院において、人間化という言葉を個人による意志の発露と捉えるのであれば、既存のシステムへ介入し、その変化へと積極的に働きかける、これらハクティビズムの態度を無視することはできない。(城一裕)

参考書籍

  • スティーブン・レビー(1987)『ハッカーズ』古橋芳恵・松田信子訳、工学社
  • Alexandra Whitney Samuel (2004), Hacktivism and the Future of Political Participation, Harvard University.