文化相対主義
cultural relativism

デザインの営為の中心的役割は、一から新しく何かを生み出すというよりは、これまでにあるものを様々に組み合わせ、調整、加工することにより、新しい経済的、社会的、象徴的価値を生み出すことにある。とすればデザインは、より多様な価値観を背景とすることで、より豊かな可能性を生み出すことができる。

文化人類学では、個別の文化は独自の「価値体系」を構成していると考える。ここでいう「価値」とは、「良い vs. 悪い」、「美しい vs. 醜い」というような判断の基準となるものであり、その基準となる「ものさし」はそれぞれの個別文化で異なり、そこに普遍的な価値基準はないとする。したがって、異なる花の美しさを比べることはできないと「世界に一つだけの花」©でSMAPが歌うように、文化間に優劣はなく、ひとつの価値基準で他の文化を判断することは慎むべきということになる。こうした態度を「文化相対主義」と呼ぶ。文化相対主義はひとまとまりの理論体系ではなく、アメリカ人類学の父と言われるフランツ・ボアズと、『サモアの青春』を書いたマーガレット・ミード、『菊と刀』のルース・ベネディクトなど、ボアズの弟子たちによって形成された「世界観」ともいえるものであり、それは少なくとも20世紀の文化人類学の大前提となった。

だが、その背景は「進化論」の世紀である19世紀にある。1859年に発表された『種の起源』でダーウィンは、突然変異と自然選択というたった2つのプロセスにより生物界全体の多様性を説明した。そのシンプルな理論の美しさは、ヨーロッパの学問の世界に進化論ブームを起こした。当時欧米の植民地が拡大するにつれて、非西洋世界の文化的多様性が明らかになりつつあったが、進化論の影響はそうした文化の研究にも及んだ。スペンサーは「社会と文化が低次元から高次元へと進化する」という社会進化論を提唱し、文化の違いを進化の度合いの違いとして説明した。ヨーロッパを進化の頂点とみなすこうした単系進化論は、有色人種に対する白人種の優越という人種主義に容易に転化し、ヨーロッパによる植民地の経営を正当化した。

このような社会進化論・人種論に強く反対したのがボアズである。ボアズ以前の人類学者たちは自ら現地調査をせず、植民地の官僚や旅行者などから聞き取った情報により研究を行っていた。ボアズはそうした「アームチェア」人類学から決別し、自らフィールドに出て調査を行い、人類学に実証的な研究をもたらした。彼は人類学の研究の対象となる人々と直接話し、その人々の生活を見るうちに、いわゆる「未開人」はヨーロッパ人とは異なるものの、決して劣っているわけでも、遅れているわけでもないという認識に至った。そして、それぞれの個別の文化は独自の歴史を背景とする合理的な体系として成り立っており、他の文化の価値基準では判断できないとする、後に「文化相対主義」を呼ばれる考えに至った。ただし、ボアズとその弟子たちは「文化相対主義」という言葉は使っていない。その提唱者、および、そう呼ばれるようになった過程ははっきりしないが、遅くともアメリカの1940年代の人類学の教科書や概論では、この言葉が用いられている。

文化相対主義の呼称を使い、概念的な整理をした人類学者の一人、メルヴィル・ハースコヴィッツによれば、文化相対主義の核心は文化の違いを尊重すること、違うことへの権利をお互いに認めることである。このような態度の形成に対して問題となるのが、自民族中心主義である。自民族中心主義とは、ある文化に属する人が、自分の文化と他の文化を比べて、自分の文化が「ふつう」で、「自然」で、優れていると感じる感情のことである。この自民族中心主義はどこにでもある感情で、自分の住み慣れた場所が住みやすく、習慣となった行為などが一番自然に、ふつうに感じるというのは仕方ないことでもある。また、この感情がある種のプライドを生み、それが集団の活力となることもある。

しかし、この自民族中心主義が自文化へのプライドの生成ではなく、他文化の否定に向けられると問題が生じる。特に、西欧近代のようなその時々の優勢な文化・社会集団による自民族中心主義は、人種差別の肯定、植民地の正当化という深刻な問題につながる。否定的な意味での自民族中心主義の本質は、自文化を尊ぶ余り他の文化を無価値化することにある。つまり、自らの文化の価値尺度によって他の文化の要素を判断し、それを自らのものに比べて劣っているとする態度である。

このことはデザインの世界でも同様であり、政治経済的にパワーを持つ西欧の価値観がデザインの評価にも暗黙の裡に反映されている。政治経済力を背景にして、ある「優勢」な社会の持つ価値が他の土着価値を駆逐する過程を「文化帝国主義」と呼ぶ。このような現象に対する批判としても文化相対主義は重要である。

文化相対主義はおそらく文化人類学の一般社会への最大の貢献であり、1960年代アメリカの公民権運動の広がりを支えた一つの力となり、現在でもあからさまな人種差別や単系社会進化観を抑制する言説となっている。ポストコロニアリズムに代表される、自民族中心主義を大規模に「脱構築」するヨーロッパ発のポストモダン的言説には、直接の影響の立証は難しいものの、文化相対主義が反映されているとみるのが妥当である。文化相対主義は、それが文化の固有の価値を重んじるがゆえに文化的背景をともなった行為に対する倫理的な価値判断を難しくする傾向や、個々の文化の自律性を重んじるがゆえに文化の差異を固定化する危険などの限界や問題を抱えているが、文化とその価値の多様性を支持し、より豊かなデザインを可能にする多元的価値の場を構築するために不可欠な態度であると言える。

(谷正和)

関連する授業科目

未来構想デザインコース 物質文化論

未来構想デザインコース グローバル化と伝統的社会

環境・遺産デザインコース大学院 国際協力マネジメント

参考文献

  • マーガレット・ミード(1976)『サモアの思春期』畑中幸子・山本真鳥訳、蒼樹書房
  • ベネディクト・アンダーソン(2005)『菊と刀』長谷川松治訳、講談社学術文庫
  • ジョン・トムリンソン(1997)『文化帝国主義』片岡信訳、青土社
  • Herbert Spencer (2002=1864) Principles of Biology, UP of the Pacific.
  • Herskovits, M. J. (1948) Man and His Works, A. A. Knopf, New York.