ロシア・アヴァンギャルド
Russian Avant-garte

ロシア・アヴァンギャルドは、1910年代から1930年代初頭にかけてロシアに台頭した諸芸術運動の総称であり、文学、演劇、美術、音楽、建築、映画、デザインなど多岐にわたる活動を展開した。その中でも特記すべきなのは、カジミール・マレーヴィチを中心としたシュプレマティズム(絶対主義、至高主義)の絵画、ウラジミール・タトリンを中心としたロシア構成主義の活動、そしてヴフテマス(高等芸術技術工房)の設立である。

シュプレマティズムの代表的画家のマレーヴィチは、精神や空間の絶対的自由を目指し、現実世界における対象を完全に排除した《黒の正方形》(1915年)のような無対象の純粋抽象絵画を制作した。これは、抽象絵画の到達点の1つであり、のちの芸術、とりわけ、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。

図1:カジミール・マレーヴィチ《黒の正方形》1915年

一方で、構成主義は、ロシア革命後の理想社会の建設を目指す共産主義の考え方に基づいており、芸術とテクノロジーを調和させ、社会にとって実用的で有用なものとして機能させるため、工業生産による鉄やガラスのような素材を積極的に造形表現にとり入れようとした。構成主義の大きな功績の1つとして、時間と空間を独自の手法によって芸術表現に取り入れたことがあげられる。

1915年にタトリンが発表した《コーナー・カウンター・レリーフ》は様々な素材が組み合わされており、空間をも表現要素として作品に取り込むインスタレーションという形式の原型とされている。さらに、この作品を展開させて、《第三インターナショナル記念塔》という回転運動する巨大なモニュメントの構想に着手している。記念塔の建設こそ実現しなかったが、鉄やガラスという新素材の利用、大胆な形態、高度な技術の導入、そして自然のメカニズムとの調和やロシア革命の理念を志向している点において、構成主義の象徴的作品とされている。

図2:ウラジミール・タトリン《コーナー・カウンター・レリーフ》1915年
図3:ウラジミール・タトリン《第三インターナショナル記念塔(模型)》1919年

また、1920年にナウム・ガボとその兄のアントワーヌ・ペヴスナーは「リアリスティック宣言」を発表し、キュビズムと未来派を批判した上で、空間と時間は芸術の構成の基盤となる唯一の形式であると説いた。同年、ガボは《立てる波》という、初のキネティック・アートを発表し、自らその宣言の実証を試みた。《立てる波》は、モーターの回転運動が金属棒に伝わり、その遠心力によって中央部が膨らむ仕掛けが施されており、物質的なマッス(かたまり)をもたない虚のヴォリュームが時空間に形成される斬新な造形表現であり、テクノロジーとアートの関係に変革をもたらした。

図4:ナウム・ガボ《立てる波》1920年

さらに、1920年には、美術教育機関であるヴフテマス(高等芸術技術工房)がモスクワに創立された。教師陣には、マレーヴィチ、タトリン、エル・リシツキー、ワシリー・カンディンスキー、アレクサンドル・ロトチェンコといったロシア・アヴァンギャルド運動の中心人物が召喚され、建築、彫刻、グラフィック・デザイン、テキスタイル・デザイン、木工芸など幅広い学科が設置され、経済発展に必要な近代的な建築や産業を支える人材育成が目指された。同時期に創設されたバウハウスとの関係も深い。

このように、ロシア革命と深く結びついたロシア・アヴァンギャルドは、前衛芸術運動が経済発展の一翼を担うという非常に稀有な動向であり、芸術の力で世界に変革をもたらすことを画策した大規模な社会実践であったといえる。

(栗山斉)

参考文献

  • 伊藤俊治(1991)『機械美術論 もうひとつの20世紀美術史』岩波書店
  • 末永照和(2000)『20世紀の美術』美術出版社
  • 三井秀樹(1994)『テクノロジー・アート』青土社