厄介な問題
wicked problems

デザインは、問題の原因に直接に作用する直線的な技術というよりは、その技術が当初の目的を果たしうるように、状況全体に目を配り、技術が機能する文脈を整えたり、人間とその技術の関係を改善したりする全体的な思慮により深く関係している。たとえば病因を叩く薬剤を直接開発するというよりは、その薬を乳幼児や高齢者に飲みやすくしたり、飲むべき薬を間違えないようにしたりする表示の工夫の方にデザインはより重きを置いているように思われるのである。

直線的な因果連関に基づく線状的なアプローチが、旋律を五線譜に書き込む作曲の作業に似ているとすれば、デザインはむしろ、作曲されたものが最大限の効果を生むようなその場の工夫、いうなればドゥルーズ/ガタリのいう「アレンジメント」に該当するといえるだろう。

デザインについてのこうした見方が力を得るようになったのは、1960年代以降、科学が問題の原因を発見し、工学技術がその原因を除去するという単純な因果関係に基づくアプローチが、それ以外の要因を度外視することによって、生命や社会の問題をかえって悪化させることが自覚されるようになったためである。たとえば、そうした問題意識を提示するものとして、カーソン『沈黙の春』(1962年)、メドウズらによる『成長の限界』(1972年)を挙げることができる。

デザインの本質を環境との複雑な相互作用のうちにとらえる考え方をデザインの方法論として提唱したのは、ウルム造形大学においてデザイン方法論の教授を務め、カリフォルニア大学バークレイ校でデザイン科学の教授を歴任したホルスト・リッテルである。リッテルは、1973年に執筆した共著論文「計画の一般理論におけるジレンマ」という論文において次のように論じる。

通常の技術的手続きは、問題を一定の枠組みの中に囲い込むかたちで有効に定義し、その解決のために目的手段連関を構成するだろう。だがリッテルらによれば、こうした論理性と因果性が重なり合うモデル(A→Bという線状モデル)は、たとえばチェスの詰み手問題のように、問題を記述する言語がその対象となる客観的事態に正確に対応しているかどうか、すでに確立された明示的規則に従って推論しているかどうかが、「真偽 true or false 」というかたちで一義に判定できることを前提としている。こうした前提が成り立つかぎり、それをリッテルは「飼い慣らされた問題 tame problems 」と呼ぶ。

これに対して、ほとんどの社会問題は飼い慣らしの枠組みに囲い込むことができないとリッテルは言う。その解決のために線状の因果関係に基づくフレームワークを設定するやいなや、そこに包摂されない外部要素が決定的に重要な役割を果たしてしまい、有効な制御が不可能になる。それぞれの要因は多数のフィードバック・ループによって重層的に規定され、それゆえ目標に対する手段の有効性を時事刻々と変容させる。問題解決のための手続きはそれゆえ普遍化不能で特異的・非線形的であり、したがって反証可能性という科学の条件を欠いている。そうした種類の問題を彼は「厄介な問題 wicked problems 」と定義する。

リッテルによれば街の治安とは厄介な問題の典型である。たとえば警官を増員することで犯罪の認知件数が減少したとしても、その問題の認知類型とその手段が正しいとは容易に言えない。というのも、その減少は別の要因(たとえば景気の向上や福祉・教育プログラムの改善)によったかもしれず、また犯罪の認知件数が減少したとしても犯罪が地下化して治安の実態は悪化しているかもしれないからである。つまり「厄介な問題」においては、問題の認知と解決を規定する枠組みの外部にその枠組みそのものの意味を問題化するコンテクスト化の可能性がつねに生じることになり、したがって問題の認識や手段の真理性、反証可能性がつねに宙づりになってしまうのである。

リッテルは、厄介な問題においては、問題それ自体が、その解決と区別できないかたちで定義されるという。これに適合する例を考えてみれば、人はみな狼だというホッブズ的・自由主義的犯罪観にもとづく問題設定は、警官の増員や監視カメラの設置といった解決策をすでに先取りしているだろう。また犯罪は貧困のせいだというベンサム的・社会的犯罪観にもとづく枠組み設定は、経済や福祉政策の強化という解決策を先取りしているだろう。だとすれば、厄介な問題における問題の認知やその解決手段はそれをデザインする人のいわば世界観に依存しており、したがってそれは「正しいか間違っているか true or false 」ではなく、そのセンスや筋が「良いか悪いか good or bad 」で判断するほかないとリッテルはいう。

「厄介な問題」をめぐるこうしたリッテルの主張は、問題を認知し解決するための科学や技術、政策のフレームそれ自体が当の問題の解決を困難にするという、現代科学技術や政策手法の問題を正確にとらえており、それに対するデザインの位置を的確に定めているといえる。デザインとは、現実を構成する要素が複数のフィードバック・ループによって多元的・流動的に構成されていることを踏まえ、それに対する非直線的で筋の良いアレンジメントを社会の中でさまざまに試みるものであり、その意味で、公共的評価にもとづく感性的な技術なのである。

(古賀徹)

関連する授業科目

未来構想デザインコース デザインの哲学

参考文献

  • Horst W. J. Rittel and Melvin M. Webber (1973), “Dilemmas in a General Theory of Planning,” Policy Sciences 4, Elsevier.
  • ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ(2010)『千のプラトー』宇野邦一訳、河出文庫