デザイン思考
Design Thinking

デザイン思考は、アメリカのデザインファーム、アイディオ(IDEO)によって提唱され世界に広まった。アイディオは、シリコンバレーにあるパロアルトを本拠に、1991年にアイディオ・プロダクト・デベロップメントとして活動を開始し、1990年後半から2000年前半にかけて進展したインターネットの普及や情報化のなかで、ビジネスにおけるイノベーション創出を主要な企業課題とした。デザイン思考はそのような時代背景のもとに2000年代前半に登場した。


デザイン思考は、ビジネスのみならず教育の世界にも広がっていった。2003年にスタンフォード大学にdスクール、日本では2009年に東大にiスクールができ、デザイン以外を専門とする学生やビジネスマンが、課題解決、課題発見のアプローチとしてデザインを学ぶ機運が高まった。スタンフォード大学にdスクールが開設された背景には、機械工学のうちにデザイン教育の伝統があること、アイディオ創業者の一人であるディヴィッド・ケリーが同大学の教授であったことがある。

デザイン思考という用語は、アイディオの発明ではない。1987年にピーター・G・ロウが、その著書『デザインシンキング(Design Thinking)』において建築と都市のデザインの文脈でその用語を使用している。そこでデザイン思考は、ビジネスや技術とデザインを融合することを意図するアイディオの文脈ではなく、建築家や都市計画家の内面的な思考過程をシステムとして言語化するものとして扱われている。

そもそもスタンフォード大学では、ロバート・マッキム(Robert McKim)が1958年に「人間中心製品デザイン教育(Human-Centered Product Design Program)」を開始し、機械工学でのデザイン教育の先鞭となっていた。さらに彼は1973年に『ビジュアルシンキング』を出版し、同大学のロルフ・ファスト(Rolf Faste)が1980年代から90年代にかけてその内容を継承している。そのような研究と教育の蓄積をもとにして、ケリーが中心となったデザイン思考が生まれた経緯がある。マッキムやファストが目指したのは、工学と芸術における制作プロセスの融合であり、ビジネスを取り入れたデザイン思考とはその点で異なる。

アイディオのホームページに掲載された元CEOのティム・ブラウンの記事によると、デザイン思考とは、「デザイナーの発想法から生み出されたイノベーションへの人間中心アプローチであり、人々のニーズとテクノロジーの可能性、ビジネス成功の条件の統合を図るものである」と定義されている。その目的は顧客価値(customer value) と事業機会(market opportunity)というビジネス的価値にある。上記の定義に関わる3つの指標として「実現性(feasibility)」、「収益性(viability)」、「欲求(desirability)」がある。人々のニーズである「欲求」から始まり、「実現性」はテクノロジー、「収益性」はビジネスの指標として挙げられている。

デザイン思考のプロセスの定義にはいくつかの異なった内容がある。ブラウンは2008年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌において、そのプロセスを「気づき(inspiration)」、「アイデア展開(ideation)」、「実現化(implementation)」の3つのステップにより定義している。dスクールの教科書である『デザイン思考のプロセスガイド入門(An Introduction to Design Thinking PROCESS GUIDE)』は、「共感する(Empathize)」 、「定義する(Define) 」、「アイデア展開する(Ideate)」、「プロトタイプを創る(Prototype)」、「検証する(Test)」の5つのステップでそのプロセスを定義している。いずれにせよ重要なことは、共感やインスピレーションなど、現場の観察に基づくユーザー理解からスタートし、「アイデア創出(ideation)」を通じてプロトタイピングを行う点である。


デザイン思考に類似した概念として「ヒューマン・センタード・デザイン(HCD)」がある。ユーザビリティの検証など、HCDが事実にもとづくデザインに重点を置いているのに対し、デザイン思考は「創造的なデザインアプローチ」に特徴があり、潜在的欲求などの「気づき(insight)」を得ることに重点を置いている点が異なっている。たとえばdスクールの成果として「テッドトーク」においてケリーが挙げたリデザインの解決策がある。ある社会人学生が、MRIの前で子ども達が泣いているのを見てMRIの表面に海賊船の絵を描き、海賊船に乗り込むというストーリーを気に入った子ども達が進んで検査を受けるようになったというのがそれである。

デザイン思考は、デザインの手法に基づくイノベーションの方法論として世の中に普及し、現在においてもビジネスや教育に影響力を持っている。またその内容も批判的議論をつうじて進展を遂げている。ブラウンが述べたように、デザイン思考は多様な課題解決に向き合うための創造的な発想法をデザイナーのスキルを持たない人々にもたらした。しかしデザイン思考が方法論=メソッドとして世の中に普及し、その手法がいわばマニュアルとして受けとめられたことで、それがもともと持っていた西海岸の自由な創造性が失われたことは否めない。この点について、アイディオ東京はホームページで、デザイン思考は「型」ではなく、「実践する人、文化、マインドセット」であり、「主観を持つ勇気」であることを強調している。

ディヴィッド・ケリーと実弟のトム・ケリーは、その著書である『クリエイティブ・コンフィデンス』の中で、デザイン思考のコアとなる考え方は、参加者全員が実践者として「創造的自信 (creative confidence)」を持つことであると述べている。こうした新しいデザイン思考の展開は、ユーザーとクリエーターの二者関係というその従来の思考の枠を超えて、一方で、多様なステークホルダーと「ともに」デザインすることを唱えるインクルーシブ・デザインの境界領域へと、他方で、アート思考のように自らの課題に向き合う一人称のデザイン方法論へと広がりを見せている。

(平井康之)

関連する授業科目 

ストラテジックデザインコース リーンスタートアップ演習Ⅰ、Ⅱ

参考文献

  • 山崎和彦(2014)「イノベーションを生み出すデザイン思考と社会環境を考慮した人間中心設計」『NEC技報』66巻3号、15-18頁
  • DESIGN THINKING DEFINED, IDEO DESIGN THINKING, IDEO.
  • IDEO Tokyo homepage, IDEO.
  • d school , An Introduction to Design Thinking PROCESS GUIDE, Institute of Design at Stanford.
  • Kelley, David (2012) How to build your creative confidence, Ted Talks
  • Kelley, Tom, Kelley, David (2013) Creative Confidence: Unleashing the Creative Potential Within Us All, Crown Business, New York.
  • Rowe, Peter G (1986) Design Thinking, The MIT Press, Cambridge, MA.
  • Robert, McKim (1973) Experiences in Visual Thinking, Cole Publishing Co.
  • Tim, Brown (2008) Design Thinking, Harvard Business Review