生物のデザイン
Biological Design

生物の形や機能は、進化のプロセスを通して自発的にできあがったものである。デザイナー“不在”である生物のデザインの中に、いまだ人間が理解したり模倣できていないデザインが多数ある。たとえば1個の受精卵から複雑な形と機能をもつ私たちができあがるのは、驚異的なことだ。人間のように五感を通して外界の刺激を受け取り動いたり考えたりすることができるメカニズムは研究の途上であり、模倣することも難しい。これらは、人類が未発見の生物固有の「なにか」が細胞内で作用しているためだと予想されてきたのは、自然かつ素朴なアイデアである。古代ギリシャの時代から繰り返し主張されたこのような主張は、まとめて生気論と呼ばれる。

一方、20世紀以降の生物学の歴史は、生物のデザインを生気論なしに説明する挑戦の歴史でもある。現代の生物学者が生物のデザインを問われたとき、生物特有の機能はおおむねタンパク質によってもたらされ、どのようなタンパク質を生物が保有するのかはDNAという物質内のヌクレオチドの並び順で決まる、と答えるのが標準的な回答だろう。また、そのDNA配列は変異・遺伝・淘汰の進化のプロセスによって最適化され、自発的に生まれてきたものだと考えられている。この考えを支えているのが、生化学である。19世紀以後多くの生物内でおこる化学反応が生物外でも再現できることが示された。今のところ生気論が予測するような未知の化学反応が細胞内で起こっているとする証拠はない。DNAの配列を元にタンパク質は作られ、タンパク質はある程度知的な情報処理をこなしており、さらに複数のタンパク質および生体分子の組みあわせが織りなす反応のネットワーク(代謝マップ:その事例)によって、全ての生命現象は構成されている。

では、生物のデザインの本質的なしくみは全て明らかになっており、あとは生物のデザインに対応する分子を一つずつ発見していけば良いのだろうか。少なくない研究者たちがそれだけでは不十分であり、科学上の未解決な問題は多数あると考えている。次にいくつか例をあげる。

ミクロなデザインとマクロなデザインの接続:タンパク質は、限られた機能をもつ分子機械である。賢くない分子の集合体がランダムに集合することで、知的な機能がいかにして創発するか?また生物個体が集まっていかにして生態系を維持しているのかもよく理解されていない。ミクロとマクロの接続は生物以外の分野では、昔から議論されており、物理のアイデアを借りたり、計算機シミュレーションを利用したりしながら、理解への努力が続けられている。例えば、鳥はどうやって群れをつくるのか(Vicsek et al. 1995) ?顕微鏡レベルの色素細胞があつまってどうやって魚の体表模様ができるのか (Kondo & Miura 2010) ?

ゆらぎを考慮したデザイン:生体分子の状態や数は機械のように固定されておらず、ゆらいでいる。一方で生物の機能レベルでは、ゆらぎが抑えられているように見える。たとえば、私達が赤色を認識する機構はゆらぎのある細胞内の化学反応から構成されているが、赤の認知自体は毎回安定しているようにみえる。未分化細胞から心臓や肺などの組織への分化は、ゆらぎなくできあがる。これをどのように理解したらよいのか(トム 1980)?またマクロなレベルでもゆらぎは存在する。例えば個人の体格や性格の多様性や、 性別を必ずしも2つに分類しきれないセクシャリティのゆらぎは、生命現象がもつ本質的なゆらぎに起因するのかもしれない。こうしたゆらぎの意義はなんだろうか?

生物の特殊な初期状態:多くの証拠が生物は単一の起源であることを示唆している。すなわち大昔に1度発生して以来、生物が生物を生み出す連鎖が一度も途絶えたことはないと予想されている。これほど永続する化学反応は生命をおいて他にはない。細胞は他の物質と異なる非常に特殊な初期状態から出発し、いまなおその特殊な状態を維持しているのではないか?そうだとしたら、その特殊さをどのように表現すればよいのか(大野 2009)?

サイエンスは自然のデザインを数式や物質の単語により示す営みである。サイエンスが扱う「自然」の範囲は拡大を続け、20世紀に生物のデザインまで及んだ。そして21世紀に入って以後芸術工学のデザインと生物のデザインが接点を持つ機会は増えているように思う。たとえば生物のようなやわらかい素材を用いた人工物をつくるソフトロボット学という分野が立ち上がりつつある。生物の進化を参考にした最適化アルゴリズムは、生物のしくみが人間のデザインに影響を与えている例である。大橋キャンパスにバイオ・フードラボという生物や食を扱う施設が構築され、生体材料を使ったデザインの研究が普通に行われている。生物のデザインに関する問いは、生物学者だけのものではなく、芸術工学の中でもこれからますます議論されていくだろう。

(伊藤浩史)

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参考文献

  • 大野克嗣(2009)『非線形な世界』、東京大学出版会
  • ハンス・ドリーシュ(2007)『生気論の歴史と理論』米本昌平訳、書籍工房早山
  • ルネ・トム(1980)『構造安定性と形態形成』彌永昌吉・宇敷重広訳、岩波書店
  • Alberts, Bruce, Alexander D. Johnson, Julian Lewis, David Owen Morgan, Martin C. Raff, Keith Roberts, Peter Walter(2017)『細胞の分子生物学 第6版』中村桂子・松原謙一監訳、ニュートンプレス
  • Kondo, S. & Miura, T. (2010) “Reaction-Diffusion Model as a Framework for Understanding Biological Pattern Formation.” Science 329, 1616–1620.
  • Vicsek, T., Czirók, A., Ben-Jacob, E., Cohen, I. & Shochet, O.(1995) “Novel Type of Phase Transition in a System of Self-Driven Particles,” Phys Rev Lett 75, 1226–1229.