新実証主義
New Positivism

デザインの科学性とは、実験や調査をつうじて問題状況を正しく認識し、それにもとづいてその問題を解決するデザインを考案し、その介入が実際にどの程度、問題の解決に貢献したかを検証することによって担保される、という考え方がある。そうした考え方の根底に存するのは、デザイナーがまえもって構想したもの、つまり計画、コンセプト、設計といった観念的なものが現実の世界のあり方とどの程度一致しているかによって、それらの正当性や真理性が確保されるという考え方である。このように、現実との対応によって観念の正しさを保証する考え方を「実証主義 positivism 」という。

この意味での実証主義の起源は、もっとも古くはルネサンスとそれに続く時代にまで遡る。15世紀のフィレンツェを中心に栄えたイタリア・ルネサンスにおいては、ギリシャやローマの古代文献を解釈する人文主義(ヒューマニズム)と並んで、〈いま・ここ〉の目前にあるものを図であらわし、それを認識の基礎とみなすディゼーニョ(素描)の試みが生じた。人文主義が古代や中世の哲学、もしくは聖書の権威と結びついていたのに対し、反教養主義ともいえるディゼーニョの図案化の方は、同時代の新しい技術や商品、自然観察、実験とむすびつき、17世紀の科学革命の源流となっていく。

こうした図案化する実証主義の思考法をテキストに適用したのが17世紀のデカルトである。デカルトは、『方法序説』等において、権威ある文献の引用ではなく、意識にありありと現れていること(現前)に真理の基礎を求めることを主張した。いかに複雑な事態といえども、それをできる限り小部分に分割し、その分割された要素の一つ一つを意識が明晰・判明に直観し、その最小限の要素を順序よく線状に接続し、全体を再構成すれば、一切の権威、その伝聞や引用から切り離された新しいテクストが構成可能だとデカルトは考えた。彼によれば、そうしたテクストの構成は、図書を独占する特権的な知識人ではなく、「良識」を備えたすべての人々に開かれているのである。

十七世紀においてデカルトが展開したこうした「方法」は、その後の科学技術の基礎となり、十九世紀に至ると工場制機械工業におけるラインシステムの原理となった。ラインシステムにおいては、すべての素材は単一の機能を持つ単純要素へと、製作に関わる人間も個別の能力へと分割され、単一要素と単純能力のペアをライン上に配列することによって、精密な製品が大量に複製される。

こうした工業化は、十九世紀から二十世紀にかけて、社会制度や科学技術の高度化と相まって進展した。資本主義や科学技術、国際情勢は、多くの人々、とりわけ労働者階級に属する人々にとって理解不可能なものになり、不合理なままに自らの運命を左右する魔術的なものになっていく。それを支えたテクストもまた、教育のない人、専門や母語が異なる人々にとって理解できないものとなった。哲学もまた、目の前の出来事と観念を単純に一致させるというデカルト的な明晰判明さを失い、ヘーゲルの弁証法体系に見られるように、高度に思弁を発展させてその真偽が検証不能な巨大な言葉の城を築くに至った。科学技術と哲学、社会制度とテキストは、近代にいたって再び、人々を分割するバベルの塔のような存在になり果てたのである。

オーストリアの哲学者、オットー・ノイラートは、ウィーン学派の綱領的文書『科学的世界把握』(1929年)の著者に名を連ね、「言葉は分け隔てる、図像は結びつける Worte trennen, Bilder verbinden 」というスローガンとともに、アイソタイプと呼ばれる図像言語を考案した。アイソタイプのもっとも根底にある思想は、世界の側の最小単位である事態と、言語の側の最小単位である要素記号とを一対一に対応させようとするものであり、ルネサンスにおける図案化の方法論をテクストメディアそれ自体に応用するものと言える。デカルトが推奨した実証性がそれを高度に展開させる過程において逆に見通しの利かないものになってしまったとすれば、そうした現状に対して、統一的な科学言語を構成することで、もう一度実証主義の理念を復興しようとするのがウィーン学派の思想であり、こうした思想は「新実証主義 Neopositivismus 」と呼ばれる。

物と記号の単純な対応関係がふたたび確立されれば、事態と命題は認識論的に等価となり、両者は無差別となる。そのときひとは、あたかも物それ自体を操作するかのように言語を紡ぎ思考を織りなすことができる。この〈物言語=図像言語〉は、文字やテクストによる教育格差・言語障壁を超えて、タンジブル(触知的)なしかたで、高度な数理・論理演算(推論)をすべての人々に可能とするだろう。

事態との関係が保証された要素記号により、複雑な事態を直観的に理解させるデザインのあり方は「視覚化」と呼ばれる。こうした視覚化するデザインはコンピュータのGUIやスライドプレゼンテーション、インフォグラフィック、ユニバーサルデザインをはじめとした合理主義的なグラフィックデザインの基礎となっている。魔術的で権威的な支配から思考を解放するという啓蒙の理念は、最先端のコンピュータ・テクノロジーを利用することで、教育格差や言語障壁を乗り越えて、誰もが容易に世界を理解し、論理的な思考を正確に駆使し、自己を効果的かつ自由に表現し、もって水平的で解放的な人的ネットワークを構成しうるという、グローバル・デモクラシーの思想へと結実する。これらの反教養主義的な技術運動は、実証主義的な言語思想の最良の技術的成果ということができる。

また新実証主義に主導されるデザインの科学主義は、バウハウスのハンネス・マイヤーを一つの源流とする調査・実験によるデザインにその基礎を与えるものである。デザインはいまや、たんに審美的なものではなく、環境と人間の生理的、文化的、社会的条件を正確に認識し、各専門を統合し、言語と教育の障壁を超えて、適切な技術的手段をすべての人々に利用可能とし、かつその効果を実証可能なかたちで主張する。その意味で実証主義は、人間中心のデザインの理念に適合し、人間工学、生理学、心理学、文化人類学、社会科学などの人間諸科学とデザインを結びつけるブリッジとして機能している。

(古賀徹)

関連する授業科目

未来構想デザインコース デザインの哲学

参考文献

  • オットー・ノイラート(1986)「プロトコル言明」(坂本百代編『現代哲学基本論文集Ⅰ』、勁草書房所収)