複製技術論
reproduction

工業的な技術的複製物としてのデザインは、一つの孤立したオブジェクトとして不変で固有の意味をもつのではなく、つねにその周囲にあるモノやひと、それをとりまくコトとの関係の中でそのつどはじめて意味を持ち、したがってそれらとの関係や状況が変動するごとにその意味を変動させていく。

こうしたデザインが持つ状況依存的な性質をはじめて理論的に明示したのがベンヤミンの論文、『複製技術時代の芸術作品』(1936年)である。ベンヤミンは、写真機や蓄音機といった表現にかかわる技術が生産するのは、本物(オリジナル)のたんなる劣化コピー (Bild)ではなく、その劣化コピーとしての性格を剥離(ab)する「技術的複製 Abbild 」なのだと主張した。ベンヤミンによれば、技術的複製は、本物が伝統的に身にまとってきたアウラ、すなわちその「礼拝価値」を抹消し、新しい文脈のうちに置かれることで新しい価値、「展示価値」を生みだすという。たとえば、オーケストラの演奏を録音したレコードは実演の劣化コピーではない。レコードは、寝室で蓄音機で演奏される(展示される)ことによって、自室で寝ながらオーケストラを聴くという、それ自身がオリジナルと呼ばれるべき新たな経験を聴き手にもたらす。工業的大量生産によっておびただしく生産される技術的複製は、それが機能するコンテクストに応じて、いわば無限に異なる現実性、すなわち〈いま・ここ〉のアクチュアリティを産出するのである。

たとえばソニーが開発した「ウォークマン」は、音楽を様々な都市生活の文脈のなかに持ち出すことによって、音楽が与えるメッセージをそのつど異なったものに変化させる。それと同時に、通勤途中の見慣れた風景というメッセージまでをもそれは書き換えてゆく。携帯音楽端末は(内と外の、音楽と都市の)アクチュアリティを無限に変化させ分散させる展示装置である。

20世紀において、労働者(プロレタリアート)もまた、学校や工場で大量に製造される規格化された部品であり、それ自身複製と呼ぶべきものであった。工場の機械の一部となるべく産み出された無個性な断片たちが、機械との新たな出会い方を通してあらたな表現を獲得し、あらたな関係を相互に取り結ぶとき、機械である人間たちの意味もまた相互に刷新され、それぞれが新しい存在として生まれ変わるとベンヤミンは考える。そうした「展示」がなされるとき、権威に基づく権力は変革される。ベンヤミンはそれを展示価値の「政治性」と呼んでいる。

工業化時代のデザインもまた、同一の製品を大量に技術的に複製する。だがその複製された機械たちは、他の機械たちとのまだ見ぬ「共戯 Mitspiel / interplay 」の可能性に開かれており、その組み合わせのあり方に応じて、それぞれことなった意味と機能を発揮しうる。そうしたプロジェクト、もしくは編集の可能性へと開かれた機械を、自然の制御と支配を目的とする「第一の機械」に対比して、「第二の機械」とベンヤミンは呼ぶ。こうしたベンヤミンの思考はメディアアートやメイカーズの基礎理論として強力に機能しており、工業製品と人間との連関を編集操作という点から捉え直すという点で、デザインにおいていまだにそのアクチュアリティを発揮していると考えられる。

(古賀徹)

関連する授業科目

未来構想デザインコース専門科目 デザインの哲学

参考文献

  • ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』浅井健二郎編訳・久保哲司ほか訳、ちくま学芸文庫所収)